J.S. バッハ「インヴェンション第1番」解説と当時の演奏法
ギターアレンジと装飾音を中心にInvention 1
装飾音:当時のトリル~フランスとイタリア
バッハはイタリアやフランスの音楽から大きな影響を受けたと言われています。(※20)ドイツのフルート奏者・作曲家のヨハン・ヨアヒム・クヴァンツは「近年来2つの民族が、特に音楽上の趣味を訂正するために貢献したというばかりでなく、その趣味の点で生来の気質に従い、特に互いに異なる面を見せている。それはイタリア人とフランス人である。他の国々は、この2つの民族の趣味に最も賛同を示し、いずれか一方に従い、そこから何かを得ようと努めた。」(※21)と「フルート奏法」(1752年)の中で述べています。
このようなことから、インヴェンション第1番に書かれていると
の2つの装飾音を中心に、当時のフランスとイタリアの装飾法とドイツへの影響や、当時の資料の中に書かれている装飾法について説明していきたいと思います。
まずはフランスの音楽家による装飾音の説明からです。フランソワ・クープランは、「クラヴサン奏法」(1716年)の中で装飾について説明しており、また、「クラヴサン曲集 第1巻」(1713年)に装飾音表を載せています。
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楽譜へのリンク先
IMSLP
IMSLP. Premier livre de pièces de clavecin (Couperin, François).
また、同じくフランス人音楽家のジャン=フィリップ・ラモーも「クラヴサン曲集と運指法」(1724年)に装飾音表を載せています。
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楽譜へのリンク先
IMSLP
IMSLP. Pièces de clavecin avec une méthode (Rameau, Jean-Philippe).
ダングルベール、クープラン、ラモーと見てみるとそれぞれ違いがありますが、この3人のフランス人はトリルを上方隣接音で開始しています。

バドゥーラ=スコダによると、17世紀の終わり頃まで、フランスの声楽曲のトリルは一般的に先主音に導かれ主音で開始されていたようだが、シャンボニエールの「クラヴサン曲集」(1670年)第1巻が登場して以来、鍵盤曲のトリルに関しては上方隣接音からの開始が推奨されるようになったと述べられています。(※22)ただ、下行進行でスラーが付いた場合のトリルは主音で始まります。クープランは、「クラヴサン曲集 第1巻」の装飾音表でスラーが付く場合を「トランブルマン・リエ・サン・ゼートル・アピュイエ」、スラーが付かない場合を「トランブルマン・デタシェ」として示しています。(※23)

ラモーも下行進行でスラーが付いた場合のトリルを、主音で開始するよう「クラヴサン曲集と運指法」の中で説明しています。(※24)

また、クープランは「クラヴサン奏法」の中でトリルについて「私のクラヴサン曲集第1巻の装飾表の中では、トランブルマンが等価の音符で示されているが、しかし、トランブルマンは、終りより始めの方がゆっくりと演奏されなければならない。尤も、その速さの推移は、聞きわけられる程であってはいけない。」(※25)と述べています。そしてトリルには3つの要素、1.ラ・ピュイ(やどり、とどまり、ひっかかり)2.バットマン(交互反復)3.ポワン・ダレ(停止点)があることを「クラヴサン奏法」の中で述べています。(※26)
バドゥーラ=スコダはポワン・ダレについて、フランスのトリルで後打音がない場合はポワン・ダレがあるが、後打音がある場合はポワン・ダレの後に後打音を弾く場合と、ポワン・ダレなしで後打音を弾くという2種類の方法があることを説明しています。(※27)
では、イタリアの装飾法はどうでしょうか。バドゥーラ=スコダによれば、イタリアではトリルに厳格なルールが存在したことはなく旋律の流れに沿って付けられるものだったが、18世紀になり、まだ主音開始のトリルが好まれていたものの上方隣接音から開始されるトリルが紹介され、優勢になってきたと述べられています。(※28)村上隆はイタリアにおけるトリルはバロック時代初期には主音開始が普通で、トリルの始め方も自由でまちまちだったと述べています。(※29)また、クヴァンツはイタリアとフランスの音楽の趣味を作曲・歌唱・奏法において特徴をあげ比較し、「一口でいうなら、イタリアの音楽は任意だが、フランスのものは制約されている。」(※30)と述べています。